平均化訓練

最近、実習動画をYouTubeにアップしていて、そのために過去に撮った映像をいろいろ見返していた時、講座を始めたばかりの頃の映像が、あまりに今の講座風景と違っていて、当時のことをいろいろと思い出していた。

それで、平均化訓練のこれまでの歩みを振り返ってみようと思ったわけである。

今見ても、不思議な、少し怪しい雰囲気の初期の講座の、特に怪しげな場面に、音楽でもつけて載せてもいいかなと思ったのと、平均化訓練講座にはいつも笑いがあって、参加者も私も体操を楽しんでいるのに、何だか堅苦しい説明が多いので、実際は結構楽しくやってますよ、というようなことで作った動画。

さて、この動画の前半に映っている体操指導の表現は、平均化体操の理論化がまだ進んでいなかった時期のものである。

今では平均化体操は、やり方も含めて、その理論がかなり説明できるようになったが、講座を始めた当初は、説明がほとんどなく、私が行う「平均化体操指導」によって起こる「平均化状態」を、理屈ではなく、体で体験してもらうという講座だった。

表現として武術のようにも見える平均化体操指導は、指導者に対して、思い切り押したり、腕を握ったりして、力を入れてきた人の姿勢を崩し、全身緊張(平均化)の状態に持っていくことである。

つまりこれは、相手の姿勢を崩したり、固めたり、操ったりしているようにみえる、健康的で、とても気持ちのよい体操指導なのである(笑)

ともかく講座を始めたばかりの頃は、受講者はあまり理屈がわからないままに、ただ指導者に対して力を込めると、自分でも思いもよらないようなポーズに自然と導かれ、一瞬そのまま動けなくなるような感覚になる。
そして、次から次へと参加者全員がそういう状態になるのを目の当たりにする。

当然この光景は不思議なものだ。
しかし、当時の自分にはこれしかできなかった。

今になってみると、当時は体操自体の仕組みを深く考えて、理論化することより、自分の技術の探求をしていた面があったと思う。

このやり方の講座は自分にとっても中々プレッシャーのかかるものだった。ほとんどが初対面の参加者全員に、説明や準備抜きにこの指導をしなくてはならないのだ。
最初にやり始めた時は、果たして全員にこのことができるのか、毎回緊張していたことを覚えている。

しかし実際に講座で指導していると、ちゃんと平均化状態の姿勢に導くことができるので、自分でもびっくりしたものだ。

講座を行いながら、いろいろな指導のやり方を試していたところもあった。
例えば私の体に直接力を加えるのではなく、棒を握ってもらって、平均化体操指導をすると、全身が緊張する状態になって、棒から手が離せなくなったり、体の大きな人と腕相撲をして、一旦私が負けるのだが、その後に、相手の手が畳にくっついて離せなくなるとか、平均化体操の仕組みを使って、ある種のパフォーマンス的なものをやっていたところもあった。

また、ある時に、相手が私の体のどこかを押そうとして動き出したところを捉えて、相手と全く同じスピードで動きを合わせると、接点を作らなくても、接点を作っているのと同じような状態になって、平均化状態に導くことができる、ということがわかった。

動画にも少し映っているこの指導のやり方は、触れずに相手を動かしているように見えるので、さらに不思議さや怪しさを演出したが、もちろんちゃんと仕組みがある。

時々喫茶店で気の合う人と話していると、全く同じタイミングでコップに手をかけてお茶を飲んだり、気の合うカップルは歩幅が自然に揃って、動きが同調しているものだ。
そういう作用を平均化体操指導に用いているのである。

だから当然そっぽを向かれていればできないことで、お互いに集中して向き合っていることが必要である。
そのように相手の状態も関わっているので、誰に対してもできるわけではないが、仕組みとしては別に不思議なものではない。

こういうことは講座の最中にひらめいて、できるようになったやり方である。

このように不思議に見える技術は、そういういくつかの条件が満たされた時に、成立させることができる。

特に、人に対して行う技術はすべて、技術者側の問題のみでは成立せず、相手の状態を考慮しなければならない。

どのような技であっても、それが成立するには条件があるのだが、全ての技術者が自分の行なっている技術の条件を意識的に、また正しく理解しているとは限らない。

コツのようなものを伝えて、誰でもできるということもあるとは思うが、本質的なものほど、単なるコツによっては習得できないものも多い。
まず、教えている人の体と、習っている人の体がすでに違っている上に、習っている人も実は一人一人違っている。

何かを教える現場では、そういうとても重要な条件が時々、見落とされていることもあるように思う。

だから、自分が指導することはできても、そこで起こっていることを、お互いに一緒に行えるやり方にたどり着けない。

訓練した技術者は、自分で意識的に把握せずとも、技術が成立する状況を作り出すことができるのだ。
もしかしたら技術とは、それが成立する状況を作り出すことそのものなのかもしれない。

実際に私自身も自分で行なっている技術、平均化体操が起こる仕組みや条件を、その当時、しっかり把握しきれていなかったのである。

なぜなら、私の体操指導は、自分の身体の鍛錬を黙々と積み上げていくうちに、だんだんと、自然にできるようになってしまったものだったからである。

そして、その把握しきれていなかった、平均化体操指導が成立する条件を究明することが、平均化体操の理論化に繋がっていったのである。