平均化訓練

訓練によって平均化状態がある段階までいくと、相手が力を加えた時に、その力が自分の体の内部をすり抜け、力を加えた相手自身に返っていく。

これはもちろん、体感覚的な表現だ。
実際にそういうことが起きているのかはわらかないが、体操の現象としてははっきりしている。

みな姿勢が変わり、全身に緊張が分散して連動する、平均化状態になる。

この現象の理屈を、100%説明することは不可能だが、一つ言えることは、平均化状態は、力のぶつかり合いが起きない。

反対に、力と力のぶつかり合いは、互いの体に偏った過緊張があって、姿勢を固持することによって起こる。

だから、平均化状態の人に力を加えると、力がぶつからないので姿勢が自然に変化して、平均化状態に導かれる。

それを「平均化状態の連鎖」と表現しているのだ。
相手に触れずに体操指導をするのも、この連鎖の仕組みの一つである。

しかし、接点があっても、なくても、こちらの意図で動かしているわけではなく、相手の動きに合わせて動いているので、どの方向に動くかは、相手によって変わる。

自分の意図が入ると、かえってできなくなるのが平均化体操指導であり、ある意味で平均化状態は、どのようにも相手に応じられる体の状態、とも言える。

そして、互いがその状態になった時、調和した状態で繋がることができる。

ともかく、長年の訓練で培った自分の平均化状態を連鎖させること、それが私の平均化体操指導であり、当初はこの仕組みを使って、平均化状態を理屈ではなく、「体験」として手渡すこと、それ以外に方法がなかったのだ。

最初は、こういうことが本当にできるのか、自分でも疑問だった。
当時は参加者のほとんどが初めて体験する人だ。

しかも、説明もろくにしないで、この奇妙な体操指導が始まる。
疑いと戸惑いの目でみているし、だからこそ本気で力を入れる人が多かった。
私が、どうぞ、と声をかけたら、助走をつけて飛びかかってきた人もある。

ところが、力を出してくれるというのは、こちらにとっては都合が良いのである。
力を出してくれるほど、連鎖しやすく、濃い平均化状態になる。

だから、参加者の疑う気持ちが、本気で握ったり、力を出すことにつながり、そういう意味では、説明しないことがかえってうまくいった理由かもしれない。

実際にたくさんの人を相手にして、体操指導がうまくいくので、自分でも面白くなった。
それは自分を試すような感覚でもあったし、これは今でも変わらないが、平均化体操を指導することは、私にとって楽しいことなのだ。

この時期の講座の参加者の方々は、あまり理屈がわからないまま、平均化体操を体験し、頭の上に?マークを浮かべたように帰っていく姿を思い出す。

おそらく次の日は謎の筋肉痛があって、やっぱり普段使っていない筋肉を使ったんだ、ということだけはわかってもらえただろうが、今となっては少し申し訳ない気持ちである。

さて、このような形でしばらく講座をやっていたが、一年ほどで、自分のやりたいことはこういうことではない、と思うようになった。

自分にとって大切なことは、この訓練法を、みんなで取り組めるように理論化して、しっかりとした体系にすることだ。

この訓練は、人間のポテンシャルを解放し、あらゆるパフォーマンスを向上させる可能性を秘めているはずだ、という漠然とした思いがあった。

そこで、一度活動を休止して、このことをどのように伝えていけばいいのか、深く考えたいと思ったのである。

最後に、この時期の講座風景を。

 

つづく