平均化訓練

平均化体操をお互いで行えるようにするための条件。

まず、互いに手を合わせて押し合って、足を滑らせながら姿勢を変えていく。
ここでのポイントは、姿勢が変わり切るまで力を出し続けること。

もう一つは、脊椎(背骨)の可動性だ。

背骨が硬い人は、平均化体操をしても、ただ棒のようになって固まる。
あるいは、姿勢を変えられずに偏った力で頑張る。
つまり体の自然な動きに身を任せられないのだ。

棒のように固まるのも、全身緊張の一つの形ではあるが、体操の気持ち良さが味わいにくいのと、閉じ込めなどの応用がやりにくい。

脊椎の可動性があれば、しなやかに姿勢が変わり、体の隅々まで力が流れた状態で、ゆっくりと動くこともできる。

つまり、平均化体操には明らかに、質や段階がある。
だから、質の高い平均化体操を行うために、楷書体などの脊椎の可動性、体幹の柔軟性を高める実習が不可欠になる。

また、平均化体操はその質が高いほど、体の内側からの動きが起こって、全身にくまなく緊張が流れ、使われていない筋肉がはっきりと浮き上がるような状態を体験できる。
そして何より、周りの人と繋がって一緒に動けるようになる。

段階が上がれば、日常でも平均化体操の感覚を取り込んだり、自分の弱い筋肉を正確に掴んで、それを使う姿勢や運動が行える。

そのように、この体操のやり方自体はとてもシンプルだが、だからと言って、簡単にできるというわけにもいかない。

どんな体操であっても、言葉や文字、あるいは動画の情報だけでやることは難しいものであるが、まして平均化体操は、ただポーズをとったり、手本の動きを真似ればいいというものではない。

平均化体操は、形ではなく、内側の状態であり、それは感覚なのである。
これは言葉にできないものだ。

だからその感覚を手渡して、共有できた時に、一緒に平均化体操ができる。

そのためには、理論の解説も大切だし、背骨を動かす準備体操も必要だし、何回か平均化体操を繰り返しながら、徐々に自分の体が無意識に動くことに慣れていくというか、力の流れに身を任せられる状態に持っていく必要がある。

講座での体験を重視する意味は、そこにある。

そして平均化体操指導とは、その感覚を手渡す一番の方法であり、当初はそれ以外になかったわけである。

前回までの原稿は、活動を休止するところまでを書いたが、その後、活動を再開してからは、お互いに押し合って行う平均化体操の実践的な研究に約4年を費やした。
そしてその間は、スポーツ選手への指導などを除いて、講座ではほとんど平均化体操指導を行わなかった。

なぜなら、平均化体操指導を行えば、すぐに平均化状態を体験として手渡すことができてしまうため、それを一旦、完全に除かなければ、理論化のプロセスを進められなかったからである。

その成果もあって、現在の講座は当初の講座とは随分と様変わりした。
楷書体、行書体、草書体の体操でしっかりと準備をした後、平均化体操を二人で組んで、あるいは輪になって複数で行う。
それで、ほぼすべての人が平均化体操を体験できるようになった。

これは平均化体操というものが、私が行う技術によって起こるものから、みんなで行えるようになるまで理論化されたことの証明だと私は思っている。

そして、お互いに組んで行える体操となった今だからこそ、もう一段、質の高い平均化体操の感覚を手渡すために、再度、平均化体操指導も行うようになったのである。

しかし初期の講座の動画を観ると、なんとも懐かしいのは、その独特の緊張感や不思議な空気感。
参加者と私が、言語や理論ではなく、ただ体と体とで接点を持って、そこに起こる現象を体験する、という、それだけなのだ。

参加者はもちろんだが、私自身もその仕組みがよくわかっていない、、、、
だが現象だけははっきりと起こる。

私と参加者の、そんな未知なるものへの驚き、怖れ、好奇心が生み出した、奇妙でもありながら、とても濃い、体操の空間がそこにあったように思う。